今日はボランティアの天声人語の録音日。冒頭に少しコメントをしゃべる。以下
ある日の夕方、小学校四・五年生ぐらいの男の兄弟を連れたご夫婦、お勤め帰りだろうかお父さんはスーツ姿、ファミリーレストランのウインドーの前で、口々にあれが食べたい、いや、私はこれとモメテいます。
皆一緒にと思わずに、夫々、個々に好きなものを食べたらモメルこともないのになあ、と見ていると、突然、ケータイの着メロ、お父さんだ、どうやら緊急の呼び出しらしい。
折角の家族団欒が、お父さん抜きになる模様です。
ひまな私はズーと見ていました。
そうなんです。世の中。便利になり過ぎて、いろんなところにひずみが出て来て困ります。
ケータイさえ無ければ、お父さんが急に呼び出されることも無く、皆楽しく食事が出来たものをと思うのは。ケータイ持たぬ私の独り合点でしょうか?
ただ、ケータイが流行ったお陰で助かっていることも有ります。以前なら、電話ボックスでの女の子の長電話、前に立って待っていてもそしらん顔、なにこのおっさん、と横目で見ながら、ペチャクチャしゃべっていたのがなくなりました。そのペチャクチャがケータイメールに変わったのでしょう。
しかし、ケータイがあるばかりに。街角の公衆電話が一つまた一つと消えてゆき、私など、途中で雨に遭って、雨宿りするから帰宅が一寸遅れるなどの連絡をしようとしても出来ない始末、この後、駅前に残っている公衆電話は最低のライフラインとして残しておいて欲しいと思います。
以上が冒頭のコメントでした。
たそがれて乾かぬ洗濯 軒下に 明日の天気を頼み参らす