概ね四週間おきに散髪千七百円也をしている。
この調子で推移すると十二月は二十三日となりそうで、鬼は嗤うが新年を迎えるのに丁度良い。
生涯に長髪だったのは三十才の結婚前後のみ、ちなみに整髪料の類は使った記憶は無い。
伸ばしていた時、手を洗いタオル代わりに頭髪を撫でるので、人様から良く謂わばベートベン、、悪く謂わば百日鬘(巻末参照)
特に盛夏、髪の毛が蓄熱してボーッとする。短髪の今でも河童の皿もどきに水でピチャ々濡らしたりするぐらい。
いっそ丸坊主にしたい位だが、人相がもっと悪くなると娘から強くなじられて、出来ない。
セカンドネームが清鷹と云う大層な名と、毛が短いことから
初対面で僧籍の人と思われたことも有ったが
それは良い方で、目つきがキツいせいで、そんなことは先ず無い。
いつも行く散髪屋さんそこそこの
お客が居られまあ結構だ
巻末
歌舞伎『楼門五三桐』の「南禅寺山門の場」(通称:『山門』)で、煙管(きせる)片手に「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両……」と名科白を廻し、山門の上下で「天地の見得」を切るのが有名。
この場面の、金襴褞袍(きんらんどてら)に大百日鬘(だいひゃくにちかつら)という五右衛門の出で立ちは広く普及し、これが今日では一般的な五右衛門像となっている。