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魁皇に惚れてます。昨日や今日に始まったのではありません。
ずぅっーと前から。立ち居振る舞い・ちょっとした仕草、なんとも言えぬエエ感じ。 昨日、朝日夕刊3版5面に次の記事、内館女史はスカンし、内容もズレてるけれど マアいいか! ----------------------- 見出し幕内在位100場所「チャンコの味しみた」円熟 魁皇これぞ相撲人《朝日新聞2010.3.25夕刊3版5面》 大関魁皇は大相撲春場所(大阪府立体育会館)で、幕内在位通算100場所を迎えた。もちろん前人未到の大記録である。 拍手と声援の多さでは、抜きんでている魁皇。客はなぜ、魁皇が好きなのか。「年齢をはねのけて頑張っているから」とか、「気は優しくて力持ちの雰囲気が好き」とか、こんな声はよく耳にする。 だが、客が魁皇に入れこむ 最大の理由は、「チヤンコの昧がしみた力士」を見たいからだと、私は考えている。これは相撲界独特の言葉だが、入門して鍛えられ、もまれ、しきたりや礼節なども身につけ、酸いも甘いも知り、心身共に大きくなっていくことをさす。当然ながら、昧がしみるには一定の歳月が必要だ。 チヤンコと共にある歳月が、力士としての佇まいを熟成させていく。 昨今、特に屈強な外国人青年が、入門と共に一気に番付を駆け上がるケースを、少なからず目にする。いい成績であるからして、これは当然である。だが一方で、そんな力士が問題を起こすことも、ままある。その時、角界関係者が「チヤンコの昧のしみる間もなく偉くなったから……」とつぶやく声を、私は幾度となく聞いた。彼らは熟成どころか、中学生レベルの青さのまま番付上位に立つ。師匠の教育が昇進の速さに追いつかず、青い彼らは時に暴君と化し、ルールを破る。 魁皇はその対極にある力士で、まさにチヤンコの昧がしみている。私がつくづくそう思ったのは、2004年九州場所のことだ。この場所、魁皇は12勝3敗で準優勝した。その前の秋場所では13勝2敗で優勝。これは、横綱昇進の内規を満たしている。ただ、昇進は機械的には決められず、北の湖理事長は場所前から一貫して「九州場所は13勝2敗以上の優勝か準優勝」と語っていた。ところが、九州場所の最中に、審判部長と審判部が口をそろえて「千秋楽に朝青龍に勝てば、昇進がないとは言えない。すべては千秋楽」とコメント。 審判部長は「私見」としていたが、このような状況で、そのような役職にある人の言葉は「私見」とはなりにくい。 世間が固唾をのんで見る中、魁皇は朝青龍に勝った。誰もが横綱昇進を信じ、歓喜した瞬間だった。だが、その大一番から10分もたたないうちに、まだテレビ中継中に「昇進見送り決定」が報じられたのである。こんな話がどこにある。審判部長と審判部のあのコメントは無責任極まりない。私は横綱審議委員会で「力士の気持ちを翻弄したことをわかっているのか」と、くってかかり、他の委員たちの怒りも激しかった。 しかし、魁皇自身は、「12勝しかしていないので、昇進が話題になることからしておかしい」と、サラリと言い、それっきりだった。新聞記者たちや角界関係者に問うても、この一件に関して魁皇が愚痴をこぽしたとか、協会批判や恨みを□走ったとかは、まったくなかったという。チヤンコの昧がしみているとは、こ ういうことを示すのだと、私は感じ入ったのである。そして魁皇の佇まいによって、「横綱というのは、こうやって熟成を進めながらたどりつく地位なのだ」と実感した。 そして今、魁皇は大関のまま幕内在位100場所を迎え、先場所は幕内通算勝利最多記録を更新。横綱千代の富士(現九重親方)の807勝を超えた。魁皇にチャンコの昧をしみこませだのは、この ニつの記録も大きく影響しているだろう。 というのも、この記録には光のみならず影の一面もあるからだ。それは魁皇自身が一番よくわかっており、『週刊文春』3月4日号の阿川佐和子さんとの対談で次のように語っている。 「(千代の富士関らは)横綱として、負けることなく短期間で作った記録。その点自分はただ現役生活が長いだけで、負けてる数も相当ですからね。なんだか申し訳なくて」 5回も優勝しながら、大関のまま100場所を迎えることに関しても「大関の相撲としてみれば`そんな褒められた成績ではない』と語っている。この影の部分の苦しみや葛藤が、魁皇を磨き、深くしている。 ただ強いだけの青い力士ではなく、魁皇のような心技体の力士を見たいと望む客たち。そこにあるのは、スピード出世の外国人が占める国技への諦念か。それとも・、失われゆく日本の精神文化への郷愁だろうか。 内館 牧子(うちだて・まきこ)脚本家 1948年秋田市生まれ。会社勣めを経て脚本家に。代表作に「ひら息「毛利元就≒週末婚」。著書に『女はなぜ土俵にあがれないのか』 『お帰りなさい朝青龍』など。2000 年から今年1月まで横綱審議委員。現在は東京都教育委員、武蔵野美術大学客員・教授。東北大で相撲部総監督も務める。 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-26 10:28
家内云うに、洗面台の水、流れ難い、見ると確かにそう。
濡れ落ち葉で今日目出度く新装開店のK中央市場へ、 パイプユニッシュと云う名の排水パイプ用洗浄剤¥398円を買う。 意気揚々、まかしとけ、コレで万事解決。とエエかっこして帰宅。早速実行→アカン 意気消沈、こんな筈では無かった、シューンとしながら、騙されたつもりで残っていた 薬剤を全部投入、待つこと30分、神にも祈る心地で、排水流す、ナント、ゴーッと快音 やっと亭主の体面が保てた。 ダメならば S字配管 分解し 男の意地で 徹底的に ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-25 17:00
1/12に一万円で一万二千円のクーポン如何なるのやら?(クリック)の
閉店スーパー跡に、明日、目出度く、K中央市場の名で開業なさる。 K中央市場の名は、五十年前に私がココ久米田池傍の公営住宅に入居したとき この地域唯一の公設市場の名であり、懐かしく思う。他に何にも無く便利にした。 後に価格破壊を宣言したダイエー中内功など影も形も無い対面販売の時代だった。 駅前商店街は繁盛し、その一角にK中央市場があった。 時代は大変革の真っ最中、郵便貯金限度額引き上げは中小金融事業者に大打撃、 その余波が中小事業者の資金繰りに如何な影響を及ぼすやら、 そんな中に開業なさるK中央市場に御健闘を祈る。 もしかして 個々のお店は 変わっても 先のお店が あるやに知れず ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-24 18:43
雨と云っても霧雨?の中、四天王寺に。経木にご先祖の戒名を書き、亀の井に流す。
やはり参拝者は少なく、南鐘堂の引導鐘のお読み上げも直ぐ済み、流しに持参した。 参拝路で商うお店もヒマか?チョットおとーさんと私に呼び掛けたり。 濡れるのが嫌で帰りを急ぎ、昼食もソコソコ済ませ、急いで帰宅。しかし、 行きは霧雨だったのが帰りは小雨で、かなりしっぽり濡れました。駅往復は自転車、 ズボン・パッチを通過してパンツまで湿った。 春雨じゃ 濡れて行こうは 半平太 新国劇の 当り狂言 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-23 17:17
隔週土曜日の公民館パソコンクラブで、問合せあれば?と私のメールアドレスを言う。
「ケータイは?」に、多分OKでしょと応えたものの自信は無かった。ケータイから来た。 ので通常のメールソフト(Becky使用)で返信したが通信不能。でGoogle検索で えもっち!モバイル(Click)を見付けた。これで送ってみた、行先不明の英文メールが帰って来ない。ナントカイケテルミタイ。 頭の体操・ボケ防止に自動車のナンバー4桁数字を四則演算(+-×÷)で10にする。 自動車に追越される都度、反射的に計算、概ね成功しているが、今日の5789に??? ところが天啓が閃いて、((7+9)×5)÷8=10で正解、こんな快挙は滅多に無い 後ろから 追い抜く車に 叱られる それもその筈 これが原因 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-22 09:36
フアィル名の一部が大文字に化けるトラブルは原因不明のまま推移しているが、
放置できないので見付け次第、修復してきた、なんとか収拾できたものの、何時 また再発するかも?戦々恐々。 ITボランティア(クリック)が被害者で、もう一つの 赤井清鷹のホームぺージ(クリック)は無疵だ。 この修復を機会に、古い内容を見直したり削除したり、それなりの効用もあった。 赤井清鷹のホームぺージは平成十年七月十日に始めたもの、 見直したら古色蒼然、手入れしたいが根気が続くかな? 牛のヨダレと 商いは 気長にダラダラ その内に 利も付く 客も付く 賽の河原地蔵和讃 これは、この世のことならず。死出の山路の裾野なる賽の河原の物語り。 聞くにつけても哀れなり。 二つや三つや四つ五つ、十にも足らぬ嬰児(みどりご)が、賽の河原に集まりて、 父上恋し母恋し、恋し恋しと哭く声は、この世の声と、こと変わり、 哀しさ骨身を通すなり。 かの嬰児の所作として、河原の石を取りあつめ、これにて回向の塔を積む。 一重積んでは父のため、二重積んでは母のため、三重積んでは、 ふるさとの兄弟わが身と回向して、昼は独りで遊べども、日も入りあいの、 その頃は地獄の鬼が現れて、やれ汝ら何をする、 娑婆に残りし父母は追善座禅の勤め無く、ただ、明け暮れの嘆きには、 むごや、哀しや、不憫やと、親の嘆きは汝らが苦げんを作る種となる。 我を恨むることなかれ。くろがね棒を取り延べて詰みたる塔を圧し崩す。 そのとき、のうけの地蔵尊、揺るぎ出でさせ給いつつ、 汝ら命短くて冥土の旅に来るなり。娑婆と冥土は、ほど遠し。 我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと、 幼きものを御衣の裳裾の内にかき入れて哀れみ給うぞ有り難き。 いまだ歩まぬ嬰児を錫杖の柄に取りつかせ、 にんにく慈悲の御肌へに抱き抱えて撫でさすり哀れみ給うぞありがたき。 なみあぶだぶつ ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-21 10:44
連休でリハビリが混み、自転車での帰りに、二回も後ろから来たマイカーとトラブル。
先は、道を譲ったつもりが「こらっ!コンナとこに止まるな!」と通り過ぎざまに罵声。 後は、暑かったので止り、上着を脱ぐ右手首に、右抜きの車のバックミラー当る。 この車は、衝撃音に反応し、行き過ぎて停車、私を窺うが、黙っていたら無視し発車。 少々、腹立ったが、かかる輩は、いす゛れ遅かれ早かれ墓穴を掘り、事故起こす! きっと、そーなる。呪いを懸けてムシャクシャしながら帰宅。 しかし、人を呪わば穴二つと諺にあり。心中の思いを打ち消す 二度あることは三度とも謂う。午後にまた自転車外出予定あり、 よーく注意しよう。こちらが気を付けても相手から当って来るかも?(中座) 午後の予定を無事終え、再びパソコンの前。自転車通行中前後左右に 気を配りオッカナビックリでペタル漕いでた。ウロウロキョロキョロし通しだった。 罵声かけ 過ぎた車に 子が二人 爺にボロクソ 実地教育 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-20 12:58
ことりの描き方(クリック)、が出来た。
あさがおの描き方(クリック)、が出来た。 どちらも、元々はゆめこるーむさんがホームページに載せられていて 永い間、使わせて頂いた。がホームペジを整理されたのか?消えて仕舞い困った。 これからも、初心者に説明するのには欠かせない教材なので何とか造ろうと努めた。 造る過程で解ったことに、ワード2000で造ったファイル(両者とも)を2003で開くと レイアウトが変化すると云うこと。大したことで無いかも知れぬが私には大問題。 そこで、それを回避するためとホームページ掲載に向けPDF化した。 なお、ワード2000(公民館のPC)での教材にしているのは時代遅れかも? やむをえない措置。 PCを 愉しみながら そこそこに 判って頂く つもりの教材 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-19 18:23
今日は小学校の卒業式があった。三々五々、親御さんと最後のランドセルを
背負った子たちに出会う。 思うに自動的に地元の中学校に行くので、さほどの感慨も無いのかも。 我が子の小学校卒業式には参列したが、中学校のには参列しなかったように 憶えている。ウン十年前の記憶なのでアイマイだが、 小学校のソレは意義深かったし厳粛だった。 式の進行中にトラブッた(保護者群の中から不規則発言、但し所謂君が代的で 無い)が直ぐ収拾・静寂となったなあ!と、今思い出している。 四十年? 前に巣立った 小学生 姉弟ともに 今・教職にあり ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-18 15:17
クラブで教材に使わせて頂いていることり・あさがおのホームページが無くなった。
このページ作成者ゆめこるーむ(クリック)さんに、今更・おそまきながら感謝。 さて、無くなった、どーする?造る!幸いハードコピーがあったので、それを頼りに 創ろうか!やり出して、今更にゆめこるーむさんのご貢献に再度感謝する。 いまはワード2003~2007だが、クラブ設置のPCがワード2000なので、 それにマッチするものを造る、たいへんだけれど、造りましょう。 憂きことの なほこの上に 積もれかし 鹿之介ばり 老いの踏ん張り 注(クリック) 戦国大名の尼子氏の家臣、山中鹿之介は少年時代からの剣の達人で、 数々の一騎打ちを演じるなど、戦国の世にその名をとどろかせた豪勇だった。 しかし毛利氏の勢力の前に、尼子氏は衰退を余儀なくされた。 永禄八年(1565)、富田城を毛利の大軍に包囲され、 山の端にかかる三日月を見て 、鹿之介は「三日月よ吾に七難八苦を与へたまへ」と唱へ、 闘志をふるひ立たせた。このとき二十一歳。 ○憂きことのなほこの上に積もれかし。限りある身の力ためさん 山中鹿之介 ▲
by akai_kiyo
| 2010-03-17 09:25
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